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初めて英語を翻訳した人は誰?話した日本人との違いと歴史

初めて英語を翻訳した人は誰?話した日本人との違いと歴史

日本で初めて公的に英語を翻訳・通訳した人は、幕府のオランダ通詞であった堀達之助です。一方、実体験として初めて英語を日常会話として話した日本人は、遭難漂流を経てアメリカで生活したジョン万次郎(中濱万次郎)です。

辞書がなかった時代、先人たちはオランダ語を媒介にした二重翻訳(重訳)やネイティブとの接触を駆使して言葉の壁を突破しました。

初めて英語を翻訳した人・話した人の結論と違い

「初めて英語を翻訳した人」や「初めて英語を話した日本人」を調べると、堀達之助、ジョン万次郎、三浦按針といった複数の名前が登場します。結論から整理すると、公式な外交の場で文字として翻訳・通訳した人物と、民間の実体験として現地で自然な会話を習得した人物とで役割が分かれています。

江戸時代の日本は鎖国体制下にあったため、外国語といえば長崎出島におけるオランダ語が中心でした。そのため、公式文書の翻訳や外交交渉を担当した「公式通詞」と、予期せぬ漂流によって英語圏で暮らすことになった「民間人」とで、英語習得のルートが大きく異なっています。

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人物名主な立場主な功績・役割習得の背景
堀達之助幕府のオランダ通詞初めて公的に英語を翻訳・通訳した人物。日本初の本格的英和辞書を編纂密入国した米国人ラナルド・マクドナルドから学問として習得
ジョン万次郎(中濱万次郎)土佐の漁師・漂流民初めて英語を日常会話として流暢に話した日本人。日本初の英会話書を執筆14歳で遭難漂流し、米国の捕鯨船に救助されて現地生活で習得
三浦按針(ウィリアム・アダムス)徳川家康の外交顧問関ヶ原の戦いの前後に来航した英国人。日英接触の最初期に通訳として関与母語が英語。オランダ語や日本語を覚えて初期交渉を仲介

公文書を読み解き、外交の最前線で「文字として正確に訳した人」が堀達之助であり、現地の学校で学び、ネイティブと同じ生活環境で「音として身につけて話した人」がジョン万次郎です。両者のアプローチの違いが、幕末から近代への英語導入期における大きな推進力となりました。

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英語の翻訳と学習の歩みがわかる歴史年表

日本人が英語と出会い、本格的に翻訳を行い、辞書や教科書を完成させていくまでの流れを年表で整理しました。鎖国から幕末の開国、そして明治初期にかけて、急速に英語の理解が進んでいった過程が確認できます。

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年代人物出来事翻訳・語学の成果物
1600年三浦按針(W. アダムス)リーフデ号で豊後に漂着。徳川家康に謁見し外交顧問となる日英初期接触(通訳業務)
1841年ジョン万次郎出漁中に遭難漂流。米国の捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助される現地での実地英語習得の契機
1848年ラナルド・マクドナルド、堀達之助マクドナルドが利尻島に密入国。長崎に送還されオランダ通詞へ英語指導日本初のネイティブ英語授業
1851年ジョン万次郎アメリカ、ハワイを経て日本へ帰国。幕府や諸藩の取り調べを受ける海外知見および実地英会話の伝達
1853年堀達之助、ペリー提督ペリー率いる黒船が浦賀に来航。堀達之助が公式通訳として応対オランダ語を介した重訳交渉
1859年ジョン万次郎日本初期の実用英会話書『英米対話捷径』を著す『英米対話捷径』(カタカナ発音本)
1862年堀達之助ら日本初となる本格的な活版印刷の英和辞典を刊行『英和対訳袖珍辞書』
1860年代〜福沢諭吉ら使節団として欧米へ渡航。近代西洋の諸概念を日本語に翻訳「社会」「権利」「演説」などの和製漢語

このように、遭難をきっかけとした民間の生きた英語と、国家の要請に基づいた通詞たちの体系的な英語学習が幕末に交差したことで、日本の翻訳文化は急速な発展を遂げました。

次の疑問辞書もない時代から進化した現代では、写真を撮って訳せる翻訳ツールの使い方を知っておくと手軽に英文を読み解けます。

初めて英語を訳した人「堀達之助」とペリー来航

日本で「初めて公的に英語を訳した人」として歴史に名を刻んでいるのが、江戸幕府の通詞であった堀達之助(ほり たつのすけ)です。代々長崎でオランダ通詞を務める家柄に生まれた堀は、オランダ語の卓越した知識を土台として英語の習得に取り組みました。

日本初のネイティブ英語教師との出会い

堀達之助が英語を体系的に学ぶ直接のきっかけとなったのは、1848年に起きたラナルド・マクドナルドの密入国事件です。アメリカ人の船員であったマクドナルドは、日本に強い関心を抱き、利尻島へ小舟で単身密入国しました。

長崎に移送されて座敷牢に収容されたマクドナルドに対し、幕府は危険人物として処刑するのではなく、その高い知性を活かして通詞たちの英語教師役を命じました。

このときマクドナルドから熱心に英語を学んだ14名のオランダ通詞の筆頭が、堀達之助でした。堀はマクドナルドの正確な発音や英文法を熱心に吸収し、短期間で高い英語読解力を身につけました。

ペリー来航時の第一声と重訳交渉

1853年、マシュー・ペリー率いるアメリカ海軍の黒船4隻が浦賀沖に姿を現した際、幕府の命を受けて小舟で旗艦サスケハナ号に近づいたのが堀達之助です。堀は船上に向かって力強く叫びました。

I can speak Dutch.(私はオランダ語が話せます)

なぜ英語でなくオランダ語だったのかというと、当時の幕府において公的な外交言語はオランダ語と定められていたためです。ペリー側にもオランダ語通訳が乗船していたため、交渉は「英語⇔オランダ語⇔日本語」という二重の通訳(重訳)によって行われました。

しかし、堀は相手の英語をすでに聞き取ることができており、オランダ語訳の正確性を自ら裏で確認しながら交渉を円滑に進めるという極めて高度な役割を果たしました。

日本初の本格的英和辞典『英和対訳袖珍辞書』の完成

堀達之助の最大の功績の一つが、1862年に刊行された『英和対訳袖珍辞書(えいわたいやくしゅうちんじしょ)』の編纂です。「袖珍」とは「着物の袖に入る小型サイズ」を意味します。

堀を中心に複数のオランダ通詞が協力し、イギリスの辞書(ピカードの英蘭辞典など)を基礎にしながら約3万5000語に及ぶ英単語に日本語の訳語を当てはめました。

この辞書は、その後の幕末・明治期の英語学習者にとって決定的な手引書となり、近代日本の英語教育の基礎を築きました。

黒船来航時の重訳交渉の流れ
1米側の英語発言

ペリー側が英語で発言する

2オランダ語通訳

米側の通訳がオランダ語に訳す

3堀達之助の応対

堀が英語を確認しつつ蘭語を聞き取る

4日本語へ伝達

オランダ語から日本語へ訳して幕府に伝える

幕府の公用語であるオランダ語を介して行われた二重通訳の流れです。

初めて英語を話した日本人「ジョン万次郎」の体験

堀達之助が「学問としての翻訳」を開拓したのに対し、「生活言語としての英会話」を日本で初めて身につけて使いこなしたのが、ジョン万次郎(中濱万次郎)です。

14歳での漂流からアメリカでの生活

1841年、土佐(現在の高知県)の貧しい漁師の家に生まれた万次郎は、14歳のときに仲間とともに漁に出たところで猛烈な嵐に遭い、太平洋を漂流しました。数日間の漂流の末、奇跡的に無人島(鳥島)に漂着し、過酷なサバイバル生活を送ります。

約5か月後、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助された万次郎は、その聡明さを船長ホイットフィールドに見込まれ、船長とともにアメリカ本土(マサチューセッツ州フェアヘーブン)へ渡ることになりました。

船名にちなんで「ジョン・マン」という愛称を与えられた万次郎は、現地の小学校や高等教育機関で英語、数学、測量術、航海術を本格的に学びました。文字の読み書きだけでなく、現地の若者と全く同じスピードと環境で英語を日常会話として習得した日本人は、万次郎が最初です。

帰国後の活躍と『英米対話捷径』

1851年、多くの困難を乗り越えて日本へ帰国した万次郎は、長期間の取り調べを受けた後、その卓越した英語力と航海知識を幕府に高く評価され、旗本の身分に取り立てられました。

1859年、万次郎は日本初期の実用英会話入門書である『英米対話捷径(えいべいたいわしょうけい)』を著しました。この本は、当時の日本人が実際の英会話で困らないよう、日常生活のフレーズと単語をカタカナの発音表記付きで網羅した画期的な学習書でした。

ジョン万次郎の歩みと英語習得
1841年漁に出て遭難漂流し、無人島で生活後に米捕鯨船に救助される
米国滞在期フェアヘーブンの学校で英語・数学・航海術などを日常習得
1851年日本へ帰国し、幕府に取り立てられて旗本の身分となる
1859年カタカナ発音付きの実用英会話書『英米対話捷径』を著す

遭難漂流からアメリカでの学びを経て帰国・出版に至るまでの経緯です。

英語を日本で初めて訳した人のイメージ

次の疑問万次郎のように生の会話をスムーズに理解したいときは、英会話翻訳のコツとツールの選び方が参考になります。

万次郎式カタカナ表記と現代フォニックスの共通点

ジョン万次郎が『英米対話捷径』で残したカタカナ表記は、現代の私たちが学校で習う文字通りのカタカナ英語(ローマ字読み)とは大きく異なります。万次郎は英語の文字のつづりにとらわれず、ネイティブスピーカーが発音した「生の音」をそのまま耳で捉えて日本語の文字に落とし込みました。

万次郎のカタカナ英語と現代の英語発音

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英語のつづり万次郎のカタカナ表記従来のローマ字式表記音声学的な解説
morningモヲネンモーニング語末の g が脱落し、弱化する発音を忠実に再現
coldコヲルコールド語末の破裂音 d が脱落(脱落現象/エリージョン)した音を再現
waterワラウォーターアメリカ英語特有の t のフラップ化(ラ行化)を正確に捉えている
Sundayサンスサンデー語末の母音の弱まりやリズムをそのまま写し取っている
nightナイナイト語末の破裂音 t が強く破裂しない無開放閉鎖音を聞き取っている
New Yorkニュヨウニューヨーク語尾の k が脱落した自然な連続音を記録

現代の英語学習では、つづりと発音の規則性を学ぶ「フォニックス(phonics)」や、音声変化(リンキングやリダクション)の習得が重要視されています。

万次郎の表記法は、まさに現代の音声学やリスニング学習のアプローチそのものでした。文字から入らず「音」から入った万次郎の耳の確かさは、現代の英語学習者にとっても大いに参考になります。

辞書がない時代にどう訳したか?3つの翻訳ステップ

英和辞典も英語の教科書も存在しなかった時代、先人たちは一体どのような手段で全く未知の言語であった英語を理解し、翻訳したのでしょうか。その解読作業は、現代の言語フィールドワークにも通じる論理的な3つのステップで行われました。

ステップ1:現物の指差しと身振り手振りの照合

ラナルド・マクドナルドと堀達之助たち、あるいはジョン万次郎とアメリカの船員たちとの間で最初に行われたのは、直接的な「指差し確認」でした。

水を見せて「water」、太陽を指さして「sun」、歩きながら「walk」と言うように、名詞や基本的な動作を一つずつ現物と突き合わせます。この作業を何百回、何千回と繰り返すことで、基本的な名詞と動詞のリストが作成されました。

ステップ2:オランダ語を介した「重訳(二重翻訳)」

抽象的な概念や文法の理解において最大の武器となったのが、長崎出島で200年以上培われてきた「オランダ語」の蓄積でした。

江戸幕府には、杉田玄白らの『解体新書』以来、オランダ語を日本語に訳す高度なノウハウと蘭和辞書が存在していました。幸いなことに、英語とオランダ語は同じゲルマン語派に属する極めて近縁の言語であり、文法構造や語彙が酷似しています。

堀達之助らは、マクドナルドに対して次のように質問しました。

What is this in Dutch?(これはオランダ語で何と言いますか?)

英語の意味を一度オランダ語に置き換えて理解し、そのオランダ語を既にある蘭和の知識で日本語に変換するという「重訳」の手法を用いることで、辞書がない状態からでも極めて論理的かつ正確に英文法や語彙を解読することが可能になりました。

ステップ3:対訳語彙集の作成と辞書の編纂

重訳作業によって集積された単語と構文のデータを整理・分類し、日本人の手による本格的な対訳辞書を作る段階です。堀達之助らが完成させた『英和対訳袖珍辞書』は、オランダ語の辞書に記載されたオランダ語訳を一つずつ日本語に置き換える膨大な手作業の結晶でした。

この3つのステップを経て、日本における英語翻訳の基盤は確立されました。

辞書なしから挑んだ翻訳の3段階
1現物照合

指差しや身振りで名詞・基本動詞を突き合わせる

2蘭語での重訳

英語を近縁のオランダ語に置き換え蘭和の知識で解読

3辞書の編纂

集積した対訳データを整理し『英和対訳袖珍辞書』を刊行

未知の言語だった英語を解読し辞書編纂に至るまでの論理的ステップです。

次の疑問未知の英文を文脈から読み解く工夫は、英語の漫画を翻訳・日本語化する方法を実践する際にも役立ちます。

「社会」「権利」「演説」はどう生まれた?和製漢語の創出

言葉の解読が進んだ後、翻訳者たちの前に立ちはだかったのが「日本語に対応する言葉が存在しない」という壁でした。特に近代西洋の政治、経済、科学、哲学の諸概念は、当時の封建的な日本社会には概念そのものがありませんでした。

福沢諭吉らによる和製漢語の創出と定着

明治期にかけて、福沢諭吉をはじめとする学者たちは、漢文の古典から適切な文字を選んだり、複数の漢字を新たに組み合わせたりして、新しい訳語(和製漢語)を大量に生み出しました。

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英単語現代の定着訳語当時の直訳や旧約の試み訳語創出の背景
society社会仲間、交際、社中人々が群れ集まる場所を意味する中国の古い言葉から転用して定着
liberty / freedom自由我がまま、勝手仏教用語の「自らを拠り所とする」意味を採用し、肯定的概念へ転換
right権利権理、通義「正しい道理」と「権能・利益」を結びつけて法的な権利の訳語を創出
speech演説辻説法、談話仏教の「法を演べ説く」という言葉から、大衆の前で意見を述べる行為に命名
individual個人一個の人間、分かつべからざるものラテン語の「これ以上分けられないもの」という原義を漢字2文字に凝縮

これらの新造語は、単に英語を置き換えただけでなく、日本人が近代的な思考体系を獲得するための決定的な道具となりました。現在私たちが日常的に使っている言葉の多くは、幕末から明治の翻訳者たちが苦心の末に編み出した発明品です。

海外へ日本の伝統や暮らしを説明する語彙は、日本文化・伝統の英単語で確認できます。

理解度チェック

Q1. ペリー来航時に堀達之助が船上へ向けて叫んだ英語はどれ?

  1. I can speak English.
  2. What is this in Dutch?
  3. I can speak Dutch.
  4. This is our country.
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正解: C. I can speak Dutch.
当時の外交言語はオランダ語と定められていたため、堀は「I can speak Dutch.」と叫びました。

Q2. ジョン万次郎が著した日本初期の実用英会話書は何ですか?

  1. 『英和対訳袖珍辞書』
  2. 『英米対話捷径』
  3. 『解体新書』
  4. 『蘭和対訳辞書』
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正解: B. 『英米対話捷径』
万次郎は1859年にカタカナの発音表記を付けた実用英会話書『英米対話捷径』を著しました。

Q3. 辞書がない時代に堀達之助らが行った英語解読法はどれ?

  1. オランダ語を介して日本語に直す重訳
  2. 中国語の文献と照らし合わせて推測する
  3. 英語をそのままローマ字読みで覚える
  4. 英国へ留学して現地の大学で直接学ぶ
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正解: A. オランダ語を介して日本語に直す重訳
英語を一度オランダ語に置き換えて理解し、日本語に変換する「重訳」の手法を用いました。

よくある質問

Q. 初めて英語を翻訳した人と話した人が違うのはなぜ?
鎖国体制下で役割が分かれたためです。幕府の公式通詞として学問的・外交的に英語を文字として翻訳したのが堀達之助であり、漂流によって民間の実生活で生きた英語を音として話せるようになったのがジョン万次郎でした。
Q. ペリー来航時はなぜ英語で直接交渉しなかったの?
当時の幕府の公的な外交指定言語がオランダ語だったためです。また、日本側に英語を流暢に話せる幕府高官がおらず、アメリカ側にもオランダ語通訳が乗船していたため、「英語⇔オランダ語⇔日本語」の二重翻訳(重訳)で交渉が行われました。
Q. 日本で最初の英和辞書はどんな内容でしたか?
1862年に堀達之助らが編纂した『英和対訳袖珍辞書』です。約3万5000語を収録し、英蘭辞典を基礎にオランダ語の訳語を日本語に置き換える形で制作された携帯可能な本格的辞書でした。
Q. ジョン万次郎のカタカナ英語は現代も役立ちますか?
大いに役立ちます。万次郎の表記(例:water=ワラ)は、音の脱落やつながり(音声変化)を忠実に耳で捉えたものであり、現代のリスニングや発音指導(フォニックスなど)の考え方と一致しています。
Q. 日本人が最初に英語に触れたのはいつですか?
記録上最も早い接触は、1600年に豊後(大分県)へ漂着したイギリス人航海士ウィリアム・アダムス(三浦按針)が徳川家康に謁見した時期とされています。

2026年9月26日更新・モチタン辞典編集部

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